産後の“骨盤矯正”は本当に必要?──骨盤が1°しか動かないという現実
はじめに
「産後の骨盤矯正を6回受けたのですが、あまり変わらなくて…」
一昨日、ぎっくり腰を起こして当院を訪れた20代の女性が、そう話してくださいました。
数か月前、とある整骨院で“産後骨盤矯正コース”を受けたものの、腰の違和感は取れず、
今回のぎっくり腰で「やっぱり何かおかしい」と感じて来院されたそうです。
いまや「産後は骨盤矯正が当たり前」と言われますが、
そもそも──“骨盤を矯正する”とは、どういう意味なのでしょうか?
骨盤って、どこが動くの?【仙腸関節・恥骨結合の位置関係】
骨盤は、「左右の寛骨」と「真ん中の仙骨」でできています。
このうち、左右をつなぐのが仙腸関節(せんちょうかんせつ)、
前側でつなぐのが**恥骨結合(ちこつけつごう)**です。
これらはどちらも強固な靭帯で支えられ、動きはごくわずか。
「骨盤が歪んでいる」と言われても、実際にはほとんど動かない構造なのです。
🔍 仙腸関節はどのくらい動くの?
仙腸関節は、骨盤の左右を後方でつなぐジョイント。
よく「ズレる」「傾く」といった言葉で説明されますが、
科学的に見れば、その可動域は非常に小さいことが分かっています。
| 出典 | 内容 |
|---|---|
| Goode et al., J Manipulative Physiol Ther, 2008 | 屈曲伸展で平均1.5〜2.5°、他方向で1°未満 |
| Kiapour et al., Front Bioeng Biotechnol, 2020 | flexion 約3°、rotation 約1.5°、側屈 約0.8° |
| Hammer et al., J Anat, 2019 | 解剖標本での実測は平均1°前後 |
| Toyohara et al., Clin Biomech, 2024 | rotation <2°、translation <1 mm。剛体に近い挙動 |
| Front Bioeng Biotech, 2022 | 徒手操作でもナテーション変位0.3〜0.5°。除圧後は元に戻る |
🧠 結論:
仙腸関節は「動く」より「しなる」関節。
平均可動域は 1°前後、最大でも 3〜4°未満。
生体で自発的に動く範囲は1°に満たないことがほとんどです。
💡 例えるなら、玄関ドアのヒンジに0.5mmの“遊び”があるようなもの。
完全に固定されているわけではないけれど、
大きく動くことはなく、その“しなり”で衝撃を吸収しています。
🤰 出産時に動くのはどこ?【恥骨結合の生理的拡大】
出産時には、骨盤の前方にある恥骨結合もわずかに拡がります。
これはホルモン(リラキシンなど)の作用で靭帯が柔らかくなるためで、
児頭(赤ちゃんの頭)が産道を通れるようにする自然な変化です。
| 状態 | 幅(mm) | 内容 |
|---|---|---|
| 非妊娠時 | 約3〜6 mm | 正常な恥骨結合幅(Walheim et al., 1984) |
| 妊娠〜出産時 | 約7〜9 mm | 生理的拡大(Becker, 1997 / Damen, 2001) |
| 10 mm以上 | 軽度異常離開の可能性(Yoo, 2014) | |
| 15 mm以上 | 明らかな病的離開:歩行困難・疼痛を伴う(Dunivan, 2014) | |
| 25 mm以上 | 重度離開:仙腸関節損傷を伴う可能性(NCBI, 2022) |
🧩 つまり、“出産で骨盤が開く”といっても、実際に拡がるのは1cmに満たない範囲。
産後に自然回復していくことがほとんどで、
手で動かせるようなものではありません。
⚕️ 恥骨結合の“ズレ”は存在するが、例外的
出産後に恥骨結合が大きく開いたまま戻らない状態を
「恥骨結合離開(pubic symphysis diastasis, PSD)」と呼びます。
発生頻度はおよそ 1/300〜1/30,000 出産 とされる稀な症例。
X線で10mm以上の離開が認められ、
強い恥骨痛・歩行困難・骨盤不安定感を伴うケースが報告されています。
(Yoo et al., 2014/Kharrazi et al., 1997)
ただしこれは病的状態であり、
「産後の骨盤がズレている」という一般的な訴えの多くは、
恥骨結合そのものの変位ではなく、筋・靭帯バランスの乱れによるものです。
🩺 6回通って「治った」ように感じる理由
産後の身体は“回復期”にあります。
ホルモンの働きが落ち着き、筋力や体液循環が自然に戻る時期です。
したがって、6回も10回も通っているうちに改善するのは、
施術の効果ではなく、自然回復の経過であることが多いのです。
🔎 「矯正で治った」と感じても、それは身体本来の力が戻っただけかもしれません。
治療家がその回復を“自分の手柄”にしてしまうことは避けるべきです。
⚙️ 骨盤矯正で本当に大切なのは「骨を動かすこと」ではない
骨盤が“ズレている”のではなく、
骨盤を支える筋肉・呼吸・腹圧のバランスが乱れているのです。
⚠️ 【治療家への提言】「骨盤矯正」という言葉を安易に使うということ
「骨盤矯正」という言葉は便利です。
患者に伝わりやすく、広告でも目を引く。
しかし、構造を理解していれば、その言葉がどれほど曖昧かは明らかです。
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仙腸関節は1°しか動かない
-
恥骨結合は1cmも開かない
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出産後の回復は自然治癒過程
それでも“骨盤を矯正する”と謳うのは、
科学より商業を優先している証拠ではないでしょうか。
治療家の役割は「骨を動かすこと」ではなく、
「身体が自力で支え直せるよう導くこと」です。
“売る”ではなく“見抜く”。
それが本来の治療家の姿勢だと私は考えます。
🧭 骨盤の関節だけを追う治療では、根本は変わらない
私自身の臨床経験から言えば、
産後の骨盤まわりのトラブルの多くは、
骨盤そのものではなく、骨盤位置に対して胸郭が後方化したまま(スウェイバック)
という身体バランスの崩れが戻っていないことに起因しています。
本来、産後の身体は回復過程で胸郭が前方へ戻り、腹圧と骨盤底筋の連動が再構築されることで安定します。
ところが、その再構築がなされないまま「骨盤のズレ」だけを問題視しても、
根本的な改善にはつながりません。
今回ぎっくり腰を起こした患者さんもまさにその典型で、
この“胸郭—骨盤の位置関係”へのアプローチがなされないまま、
「骨盤矯正」という表面的な施術だけを受け続けていました。
結果として、安定性を欠いた身体が急な負荷に耐えきれず、急性腰痛を発症したのです。
商業的なワードを使って集客すること自体を否定するつもりはありません。
それは各院の方針であり、裁量の範囲です。
しかし──少なくとも患者の“問題”は解決してあげてほしい。
そうでなければ、私たちのような仕事の存在意義そのものが薄れてしまう。
治療家とは、流行語で施術を売る職ではなく、
“人の機能を回復させる専門家”であるべきです。
🌿 本当に必要なのは「骨盤を支える力」を取り戻すこと
骨盤を動かす必要はありません。
必要なのは、骨盤を支える筋・呼吸・姿勢の連動を取り戻すこと。
腹圧と骨盤底筋の協調、股関節の安定化、呼吸の質。
それらを整えることで、骨盤は自然に安定します。
🧭 まとめ:産後の骨盤矯正に「奇跡」はいらない
出産後の身体は、驚くほどの再生力を持っています。
正しい順序で整えれば、自然に回復します。
必要なのは“強い力”ではなく、“正しい理解”。
骨盤を「動かす」のではなく、
骨盤が「支えられる身体」を取り戻すこと。
それが、本当に意味のある産後ケアです。
✍️ 富士見町fine整骨院
(姿勢矯正・鍼灸治療・気功療法/身体構造バランス専門)
📚 参考文献
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Goode A et al. Three-dimensional movements of the sacroiliac joint: a systematic review. J Manipulative Physiol Ther. 2008.
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Kiapour A et al. Biomechanics of the Sacroiliac Joint. Front Bioeng Biotechnol. 2020.
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Hammer N et al. Physiological in vitro sacroiliac joint motion. J Anat. 2019.
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Toyohara R et al. A literature review of biomechanical studies on sacroiliac joints. Clin Biomech. 2024.
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Becker I et al. Acta Obstet Gynecol Scand. 1997.
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Damen L et al. Spine. 2001.
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Yoo JJ et al. Korean J Radiol. 2014.
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Dunivan GC et al. Obstet Gynecol. 2014.
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Kharrazi FD et al. Obstet Gynecol. 1997.
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NCBI Bookshelf. Postpartum Pubic Symphysis Diastasis. 2022.
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